未来授業 第1回 廣道純 Vol. 1566

f465d6b4f62c1c723cf1f4182689e428.jpeg

去年の秋、全国5つの会場で行われたイベント、「FM FESTIVAL 2018 未来授業 ぼくらの時代の生存戦略」。今週は、この一環として、大分会場で行われた特別公開授業の模様をお届けします。聞き手は、「SCHOOL OF ROOK」のとーやま校長。

廣道純さんは、高校生の時にバイクの事故で脊髄を損傷、車いすでの生活を余儀なくされますが、そこから車いすスポーツに目覚め、日本を代表する選手に成長。400メートルや800メートルで次々と日本記録を樹立し、パラリンピックには4度出場。800メートルで、シドニー大会・銀メダル、アテネ大会・銅メダルを獲得しています。

立つことも歩くことも出来なくなったとき、それでも廣道さんは、希望を失うことは無かったと言います。

未来授業1時間目、テーマは『命あることの喜び』

—高校一年生の時、ですね。事故にあった。

 

—そうです。バイクに乗っていました。これは今事故直後の写真が今出ていますね。痛い痛いし、かわいそうな写真が、小指骨折しているのに、頑張ってピースです。小指曲がったまま骨折されだからよかった。これ、小指がピント(猛然翘起,突然反弹。这里大概是指小拇指骨折无法弯曲,比V的时候,小拇指还翘着。)になったピースです。

 

—これ、場所はどこですか、病院の?

 

—これ、病院のベットで、もう結構ねけがをして、本当ね、間もないごろです。背骨を骨折しているんで、背中ばっさり(一到斩断状)切られているんだから、服も着れない、骨がまた引っ付いて(粘住;黏住)いないで、もう首の横にね、砂の袋で首を動かないように固定されているっていうフェア(正确的;正当的。这里的意思我不是很确定,大致应该是指真实的照片)の写真です。

 

—いや、その・・・にこにこしていないで、でもいいですね。

 

—すみませんね。黒いのお見せ(这里听得也不是很清楚,我个人的理解是说很腹黑的表情)で、でもね、この時はまたね、多分、足は麻痺しているけど、歩かなくなるっていうのは、気がされていない。ただもう、背中をばっさり切られて、痛いなあ。動きたいだけど、動かなれへんっていう、一番きつかったときですね。

 

—でもまあ、そのいつかちゃんと、またいつもの生活に戻れるんだろうと希望の中にいたんですね。

 

—そうですね。最初の説明は、背骨の中の脊髄(せいずい)は細かすぎで、手術はどうにもならん。奇跡的に骨を元に戻した時に、切られている神経がつながって、また、足が動き出すこともある。三か月か四か月ぐらい経った後、それは医者でも分からんっって言われたんですよ。だから、最悪は歩けなくなるのは、分かっていた。でも、自分の中では、「じゃ、ピリピリ所切られた神経が、勝手にこう、元の神経に見つけ出して、繋がっていて、回復するやろうなあ」っていうみたいに思ったんですよ。

—どういうことを考えて、毎日行ったのか、覚えていらっしゃいますか?

 

—覚えています。まず、やぱり一番は死なずに済んでよかった所なんですね。生きてよかったっていう所からスタートして、で、動きたいけど、動かれへんっていうのは最初二、三日、めちゃきつかったのに、もう一週間ぐらい経つと、あたり前に感じ出すんですよ。そうしたら、24時間のサイクル(循环,大意是指自己能感受到一天24小时的时间变化)かね、自分で出来上がるんですよ。

 

一か月経ち、二か月経ち、で、それぐらい、ちょっとずつ横向けるようになった。寝たきりのまま、横向けることがめちゃくちゃ嬉しく感じて、「やった!今日右向けた、また上か、あ!左向けた」っていう喜びを感じ出すんです。

 

三か月に経った時、先生が来て、「もうそろそろ背骨引っ付いたから、座ってみようか」って、いきなり言われるんです。で、ベットね、きこきこ(这里应该是一个拟声词,但是没查到,如果有同学知道,可以在下面留言)ハンドル(手柄)を回すと、だんだんベットの角度が変わってきて、座れたんですよ。初めて、病室の中のどの位置に自分のベットがあるのかとか、初めて、そこで、起き上がって、座れたって喜びを感じる。

 

座れるんだったら、車椅子に乗ったら動けるに違いないっていうので、病院で車椅子をもらって、車椅子をピョンで飛び回って、動いて、病室の外に出て、「あっ、やっと外の空気が吸えた」って言って、自分で動けるっていう喜びを感じた。その病院の中で、車椅子が動き回っているころに、父親から「実はお前の足はなあ、一生治れないね。先、医者から聞いてきた?」それを聞いた瞬間「あ、そうな、ほんなら(大阪方言,そうしたら、要是这样的话)、まったいしょや(仕方がない,那也没办法了)」

 

—そこがすごくないですか?

 

—そこかね、やっぱりどこへ行っても、この話したらね、驚かれるだけど、でも、自分の中では、死んだはずなのに、寝たきりやったのに、動けるようになった、車椅子に乗ったら、自分の意志で、好き勝手動けるようなったっていうところまで来て、はい、もう病院に出ても、治りませんよ。病院に出る(这里的出る如果理解成出去,上下文逻辑就不通了,这里和テレビに出る、上电视是一样的用法,意思应该是上医院,呆在医院)意味がないですよ。じゃあ、もうこのまま変わらんってやったら、家の方がいいわっていう風にすぐ思うんだし、落ち込むはね、本当に一秒も落ち込みはなかった。

这一期的嘉宾是日本著名的残奥会选手,主要和讲述了他残疾的原因,以及当时的心路历程。听完这篇对谈,我们可以发现,他是一个非常乐观的人。一般人在经历车祸,知道自己无法在走路的时候,心情必然是又沮丧又痛苦的。肯定会一次又一次的追问自己:为什么老天要对我这么残忍?为什么我当时要骑摩托?如果我没有骑摩托,事情又会是怎么样的?其实这些想法,在发生的事实面前,根本毫无意义。广道选手却做到了一个我们都知道,但却很难做到的道理:忘掉失去的,珍惜拥有的。

ee4a03b71b29fdfaed801036d7893709.png

发表回复

您的电子邮箱地址不会被公开。 必填项已用*标注